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名句認定

勲章をありがたがる人と、まったく興味のない人と、世の中には二通りの人間がいる。

名句にまつわる事情も、それと似ていないこともない。『俳句』2月号の特集「本当に名句? 評価の分かれる有名句」について、秀彦さんが「疑問は疑問として良いとしても、それを何人かの俳人に語らせたものを読んでそこから何を得るのか」と、問いそのものに疑義を呈していらっしゃるが(「週刊俳句」第42号)、ある句が名句か名句でないかを、重大事と捉える人と、まったく関心のない人と、世の中には二通りの人間がいる。

どっちでもいんじゃね?

後者は、そのひとことで終わる。「名句だから(あるいは、名句じゃないから)、それがどうしたと言うの?」というのが率直な感想だろう。

そういうタイプの人にとって、名句か名句でないかの議論は不毛に近い。そうでなくても、よほどうまい具合に議論が展開しないことには(というのはつまりよほど刺激的な切り口や論理構築がないかぎりは)、「結局好き嫌いでしかないようだ」(前出・五十嵐)に終わってしまう。そこから、何かが生まれることはない。

名句であるという肯定意見は、過去の称揚をなぞりがち。一方、否定の意見は、「~でないこと」の証明という労の多い作業を逃れるために、奇をてらいがちにもなろう(正面から否定する気になれないその気持ちは理解できる気がする)。

なお、この「名句か否か」企画、定期的に繰り返されているようだ。一昨年の2月号の同特集については、ブログ「かわうそ亭」に記事がある。
草田男って「ちょい悪オヤジ」という俳人(2006/02/11)


ひとつ思うのは、多くの人から「名句」と呼ばれる句のなかには、名句になりたくて生まれてきたんじゃないやい!と言いたい句も少なからずあるのではないか、ということ。

また、「名句か名句でないか」などと論じる姿を、笑っている句もあるにちがいない。ほお、みなさん、いろいろおっしゃっていただいておりますな、恐縮恐縮、ってな感じで。
by tenki00 | 2008-02-10 01:10 | haiku
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