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彼らの憧れの存在

週刊俳句第29号の「小特集:北大路翼のすべて」を興味深く読んだ。

まず、「北大路翼独占インタビュー」がおもしろい。こういう記事は、ふつう思われている以上に手腕を要する。例えば顰めっ面の難解そうな俳句論よりも、技術的難易度は高い。ユースケ君は、いい仕事をした。

ま、それはそれとして、北大路翼さんの39句も拝読。そのほかの記事も読んだ。

秀彦さんが、この小特集について「読んでいて、この人物にまったくリアリティがない。虚構の人物ではなかろうか、とも思った。」と書いている(*1)、私は逆に、切実なリアリティを感じた。翼さんという人のことを私は何も知らない。実年齢もわからない。俳句を読むのもはじめてである。そのうえで、私はこう理解した。

「この人は、自分の時間を20歳で止めたのだ」

そう思えば、句作・実生活両面での「性」へのこだわりが、とてもよく理解できる。「女は20歳まで」(インタビュー)にも説明がつく。

そして、THCの20歳前後の若者たちの翼さんへの憧れや親愛も、よくわかる。

若い頃は、みずからの「老い」への忌避や恐怖がある。「20歳で老い?」と訝る人がいるかもしれないが、60歳の人間が10年後70歳となる自分の「老い」に対して抱く切迫感よりも、20歳の人間が30歳となる「老い」に抱く切迫感のほうが深刻かもしれない。いわば「老い」の第一歩を踏み出すのが、20歳前後という年齢である。

20歳の人間は、やがて30歳へ、40歳へと「老いていく」。忌避し恐怖する一方に、おそらくは、そうした経年変化を自分も受け入れていくのだろう、という現実の受容、諦念がある。

ところが、翼さんは、老いることがない。時間を20歳で止めたのだから。

憧れの存在となって当然だ。だが、彼らはきっと翼さんのようにはなれない。なれない、と知っているから、翼さんに憧れ、愛するのだ。

もうひとつ、興味深いことがある。「彼が性をテーマとしていることは周知の事実。」(宮嶋梓帆「師匠、ではなく」)とのことだが、翼さんの39句を読むと、そこに「臓器」と「ラブアフェア(恋愛)」はあっても、「性」は希薄なような気がした。「性」とはどんなものか、それを問われると困ってしまうのだが。



(*1) この号全体について秀彦さんは「面白いっちゃ面白い、退屈っちゃ退屈。ずいぶん楽屋落ちが多いのは青少年の性癖なのかしらん。」と指摘。これにはかなり近い読後感をもった。今言ってしまうのは早いが、「楽屋落ち」は、つまり、「自分たちに興味をもちすぎ」なのだ。青少年の性癖、というのも、おそらく当たっているが、THCのなかでは年配のおじさん、葉月さんの記事「豆の木とTHC 非結社型句会の今日」が「楽屋落ち」の最たるものであることからすると、年齢では割り切れない。
by tenki00 | 2007-11-12 21:41 | haiku
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