句会がいちめんの焦土と化す、ナパーム弾のような、あの、例の、自句自解のひとことを、ひさびさに聞いてしまった。
「だって見たんだもん」
ところが、月天というところは、さすが与太者の集まりだけあって、タダでは焼かれていない。その発言以降、「だって××だもん」の連射。
「この金木犀という季語は、どーだろ?」と問われれば、「だって匂ったんだもん」
「くぬぎ門?」との声には、「だって、あったのよ」
はたまた…
文末の字を崩し字に紅葉かな てんき(お粗末以下同)
…が俎上にのぼれば、「だって崩したんだもん」。
正月の栗きんとんにする栗か
…には、「だって、するんだもん」。
おのおのみずからが、また互いに炎上して、句会そのものが火だるまに。大盛況のまま句会はお開き。
註:月天の名誉のために付記しておけば、「ひゃあ、句会でこんな句が拝める? すげっ」という句も。炎上しようが焦土と化そうが、いい句はいい句ですね。あたりまえざんすが。