工場ラヴァー

工場萌えとダム萌えは、ある種、セットらしい。

〔動かぬ証拠〕
アボガドロ定数 はれときどきだむ 前編
http://1mol2mol.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e205.html
工場萌えな日々 TECHNOSCAPEの夜
http://d.hatena.ne.jp/wami/20070816

私の事情を申せば、ダムについては宮ヶ瀬ダムには近いうちにぜひお邪魔したいという程度で、むしろ、工場。それもコンビナート系である。

現代用語たる「萌え」を使用するのは憚る。ここはちょっと懐かしく「愛好者 lover」と自称することにする。工場ラヴァー・コンビナート系。

例えば、夏、南房総の友人のところに東京湾アクアライン経由で遊びに行く日。まだ明るさが残る夕暮どきに多摩川べり、土手の上の道を下流に向かって走る。なぜか少し泣けてくる。これまでの経験だと、トム・ウェイツのCD、Mule Variations (1999)を鳴らしたりすると、そうとう泣けてくる。やがて川崎の街に入り、そこを抜け、さらに海に向かうと、浮島だ。右手には、工場ラヴァーズ垂涎の工場。宵闇が迫るなか、この巨大な鉄塊に灯がともる。

ここで、少し泣いていたその日のドライブが、号泣となる(心のなかの話だけれど)。


工場って、なんで、あんなに泣けるんだろう? 好みの工場に遭遇すると、胸が張り裂けそうになる。


ところで、団地萌えの信治さんが、猿丸さんと繰り広げるダイアローグ、「サバービア俳句について」は、非常に興味深い。簡単に腑に落ちる話ではないから、興味深いのだ。これからも「わかりやすさ」という低廉な方向を目指すことなく、いろいろな方向へ話題を飛ばしてほしい。そのうち、はじっこのほうで、工業都市俳句とも繋がってほしいのだが、それは、工場ラヴァーたる私の勝手な願いか?

…なんて書くと、「サバービア俳句」を空間的・地理的にのみ捉えているように読めてしまう。まずい。私自身は、「時間」の問題を抜きにして語っては、理解が妙な方向に進むと確信している。「生きられた空間 lived space」(俳句が詠むのは、いつだって、それだろう)とは、時間によって彩られた(規定された)空間・地理である。サバービアは、時間の比喩でもある。雑駁に言えば、伝統や因習から切り離された、ある種の浮遊感を伴った時間(時代)の在処が、あるときは、サバービアというかたち(概念)をとるのだと思う。

その脈絡でいえば、工場は?

これは話がややこしくなるようなので、また、この次、ざんす。
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by tenki00 | 2007-09-12 22:40 | pastime
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