風の百合あつといふまに蝶にかな 馬場龍吉
ブツか、ことばか。世の中には、俳句には、このような二元論がある。少々乱暴だが、前者では、まず現実のブツがあり、そのあとにことばがある。後者においては、いわば「名づけられること」が世界であり、ことばの以前に世界はない。 不思議なことだが、ことばを扱う人には、しばしば、ことばに対するうしろめたさがある。「ことばだけ」という恋愛の恨み言のようなフレーズを、ことばを扱う本人が使ったりする。現実を、ブツを、うしろめたさの保証として求める。 もうすこし具体的に、あるいは下世話に、俳句の脈絡で言えば、例えば、吟行か書斎か、現場vs机上、実感(抒情)vs知的処理(機知)。 さて、掲句。この実体のなさをなんとしよう。季語をパラフレーズしただけ。とはいえ、「風」を設えることで、「あつといふまに」という事象がこれほど活きるわけだが。 世界やブツを描いたわけではない。「ことばだけ」の句だ。現実世界に対して巧妙な詐欺を働くような「不誠実」な句だ。つまり、それほど素晴らしい句ということなのだが。 ところで、この句を含む10句作品「まぼろし」を読んでみると、この作者は全般に、世界を、ブツを、描こうとしない。ことばで詐欺をはたらこうとするばかりである。「まぼろし」というタイトルは種明かしとして単純すぎるほどで、このへんに作者の善良ぶりが出ているとも言えるのだが。 この作者は、きっと、吟行に出かけても、そこで句をつくる気などない。スケッチ程度でさえ、ない。家に帰り、書斎にこもり、そこからが俳句と向き合う時間、まぼろしを紡ぐ時間である。その昼間の吟行句会など、この作者にとっては、どーでもいい、関係がない。そりゃあ付き合いがあるから、句を出したりするが、それだけのものだ。以上は、憶測だけど。 ブツか、ことばか。ブツ派のことばはブツになかなか追いつけず、ことば派のことばは作者を裏切るほどには進化しない、というじれったさはあるが、亀と兎の競走は、べつにどちらが勝つというものではなく、よい句を授かるに至る道はたくさんある。と、どうでもいい締めで終わる。
by tenki00
| 2007-07-04 00:47
| haiku-manyuuki
|
最新の記事
LINKAGE
カテゴリ
全体 haiku ameo & tenki haiku-manyuuki tenki-ku pastime kasen hai-zukan sampo haiku no fushigi memo etc book 未分類 以前の記事
2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 09月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||