俳句漫遊記113 ことばの詐欺

風の百合あつといふまに蝶にかな   馬場龍吉

ブツか、ことばか。世の中には、俳句には、このような二元論がある。少々乱暴だが、前者では、まず現実のブツがあり、そのあとにことばがある。後者においては、いわば「名づけられること」が世界であり、ことばの以前に世界はない。

不思議なことだが、ことばを扱う人には、しばしば、ことばに対するうしろめたさがある。「ことばだけ」という恋愛の恨み言のようなフレーズを、ことばを扱う本人が使ったりする。現実を、ブツを、うしろめたさの保証として求める。

もうすこし具体的に、あるいは下世話に、俳句の脈絡で言えば、例えば、吟行か書斎か、現場vs机上、実感(抒情)vs知的処理(機知)。

さて、掲句。この実体のなさをなんとしよう。季語をパラフレーズしただけ。とはいえ、「風」を設えることで、「あつといふまに」という事象がこれほど活きるわけだが。

世界やブツを描いたわけではない。「ことばだけ」の句だ。現実世界に対して巧妙な詐欺を働くような「不誠実」な句だ。つまり、それほど素晴らしい句ということなのだが。

ところで、この句を含む10句作品「まぼろし」を読んでみると、この作者は全般に、世界を、ブツを、描こうとしない。ことばで詐欺をはたらこうとするばかりである。「まぼろし」というタイトルは種明かしとして単純すぎるほどで、このへんに作者の善良ぶりが出ているとも言えるのだが。

この作者は、きっと、吟行に出かけても、そこで句をつくる気などない。スケッチ程度でさえ、ない。家に帰り、書斎にこもり、そこからが俳句と向き合う時間、まぼろしを紡ぐ時間である。その昼間の吟行句会など、この作者にとっては、どーでもいい、関係がない。そりゃあ付き合いがあるから、句を出したりするが、それだけのものだ。以上は、憶測だけど。

ブツか、ことばか。ブツ派のことばはブツになかなか追いつけず、ことば派のことばは作者を裏切るほどには進化しない、というじれったさはあるが、亀と兎の競走は、べつにどちらが勝つというものではなく、よい句を授かるに至る道はたくさんある。と、どうでもいい締めで終わる。
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by tenki00 | 2007-07-04 00:47 | haiku-manyuuki
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