12+5 問題

「週刊俳句」第3号の「「十二音技法」が俳句を滅ぼす」(遠藤治)が展開を見せている。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/05/blog-post_3632.html

ゆっくりレスポンスできない状態だから、一点だけ。

切れの問題とは分けたほうがいいと思う。

12+5は17音じゃなく12音できあがったフレーズに季語をくっつけるという、ごく一般的な手順の話で、切れの話はまったく別。

 五七と指折り数へ心太  てんき

これが  五七と指折り数へ+心太 か 五七と指折り数へ/心太 なのかは、制作手順とは別に検証してみる話。

わかった? 切れの話は、別よ。


それと、余談になるが、「十二音技法」の記事で盛り上がるのはいいが、もうひとつ、岡田由季さんの「お約束とローカルルールのなかの俳句」
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/05/blog-post_9337.html
こちらのほうが、俳句にとって、よほど根本的で刺激的な問題を含んでいると、私自身は理解している。以前から使っている語を宛てれば、「俳句的プロトコル」。そのなかでぐるぐる堂々めぐりをくりかえすような、作句/評価のサイクルで、俳句という「井戸」の外に読者を獲得することができるのか?

俳句ズレした「俳句内読者」が、切れがどーした、季語がどーした、ゆうとることに、実はあまり関心がない。俳句の外に、俳句にとって好ましい読者は存在するはず。つまり、俳句ズレしておらず、なおかつ、「ことば」に対する洗練されたセンスをもった読者、だ。そうした人たちに、俳句がどう届くか、どう届かないか。そのほうがよほど関心がある。私としては、ね。

まあ、12+5の件も、各所で盛り上がっていただきたいが、他にもテーマはあるぞ、と。ここで言っておくざんす。
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by tenki00 | 2007-05-14 20:00 | haiku
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