読むことと書くこと

「週刊俳句」創刊号の記事「俳句研究を読む」のコメント欄で信治さんが、俳誌を読むシリーズは、ある意味「総合誌を読もう」運動だと言っている。なるほど。

この運動は、きっと「熱狂」には向かわない。だから、楽しい運動になりそうだ。

私の周りには、俳句総合誌(俳句専門誌)を「読まない」という俳句愛好者が多い。私もあまり読んだことがなかった。5月号は、自分が担当する『俳句』だけでなく、6誌を買った。ページをめくっていると、楽しくはないが、苦痛でもない。その興味と退屈のバランスが、心地よい、といえなくもない。

「俳誌を読む」のコーナーは、これからいろいろな人が担当するはずで、取り上げ方・書き方は、人それぞれになる。私自身は、特定記事について具体的に取り上げる(総論的な言及はしない)という緩やかな方針をもっているが、他の人がどんな取り上げ方・書き方をするのか、楽しみでもある。

(すこし話が飛んで)

書くことと読むことは、瞬時に交代される。変な日本語だが、さっきまで読んでいたと思ったら、次は書いている。

このことは、「週刊俳句」の全体と関わる。前号までの読者が、ある号で書き手になる。書き手と読み手、その双方を引き受けることへと、誠実に関わる。舌足らずだが、そういうこと。

言い換えれば、読む人のまま、書く人のまま坐り続けて、尻にタコをこさえるのではなく、〈読む〉と〈書く〉のあいだを気ままに行き来してみましょうぜ、ということ、なのだ、きっと。
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by tenki00 | 2007-05-04 19:11 | haiku
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