オカネ

たじまさんのブログで「バブル」という言葉を見て、なんだか懐かしい気分になった。というのは、バブル期が懐かしいわけではない。そんな言葉があったなあという感じだ。

バブル期に私はもうオトナだったが、その恩恵に浴したわけでもない。その後の不況で赤貧にあえいだわけでもない。暮らし向きの変化はあまりなく、幸いなことに、いつも適度の貧乏を保てている。でも、日本がバブルを経験したことは知っているし、これはたいへん大きなことなのだろうと思う。

拝金主義がはびこったという指摘はよくされる。私もそれには首肯する。いつのまにかオカネがずいぶんエラくなってしまった。むかし、オカネはこんなにエラくはなかった。

オカネはむかし卑しい存在だった。といってもバブルより前を知らない若い人は信じてくれないかもしれない。でも、ほんとうだ。オカネは卑しく汚いものだった。私が子どもの頃、オカネを触った手で何かをしようとすると叱られた。手を洗いなさいと言われた。これはまた別の意味かもしれないが、オカネは忌み嫌われていた。オカネの話をする人は軽蔑された。

オカネは食べていくためにもちろん必要だが、その存在に知らぬふりをすることが、良き暮らしのあり方だった。つまり、たくさん持つことにも、ほとんど持たないことにも、ともに恬淡としていられることが美徳とされた。多く持つことに恬淡としていられない人は「成金」と呼ばれた。それがいつのまにか、オカネをたくさん持つこと=エラいという考え方がはびこってしまったようだ。

オカネは持っていても意味がない。百円玉も一万円札も銀行の残高も、そのままでは使い道がない。硬貨は食べられないし、紙幣はメモにもならない。何にも使えないから、モノや何かと交換する。手元に持ちたいものではないのだ。オカネには用途がないから、何かと交換される。それがオカネの意味の全部である。

話が逸れたのか逸れなかったのか、よくわからないが、オカネが幅をきかせる世の中は、下品でつまらない。でも、きっと(もう一度言うけど)、物心ついたときバブルだった日本人は、そしてそれ以降の日本人は、オカネが下品で卑しいものという考え方にはちんぷんかんぷんだろう。世の中、変わってしまったね。

たじまさんの記事に戻ろう。拝金主義のはびこった社会が、コンパクトになることはむずかしいと思う。この理屈はうまく説明できないけれど。
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by tenki00 | 2005-05-12 23:50 | pastime
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