俳句漫遊記110 小野裕三

北極の墓地より来たる消防士  裕三

見てきたような嘘をつく写生的な句がたくさんある一方(それが悪いというのではない)、虚構的な手法で、リアリティの肌理へと接近する句がある。表面的には、後者は詩的な様相を帯びる。小野裕三さんの第一句集『メキシコ料理店』に収められた多くの句をリリカルと呼んでさしつかえないと思う。さらにいえば、リリカルな仕掛けを纏った心躍る「物語」と呼びたい。

以下、気ままに句集より引かせていただく。

海の深さの四月の論理学者の夢
海月来るガラスの瓶の記憶力
もう時は過ぎた靴のよく売れた夏
春の雪朝日新聞燃えあがる
昼顔やパズルのような椅子がある
玉葱を切っても切っても青い鳥
月光のやがて聖徳太子かな
マウンテンゴリラ虹のようなものを掴む
梟と僕とばらばらに悲しむ

以下はちょっと毛色が違うように私には思える句群。

白木蓮そこから先が夜の服
相談の終わった洋間梨の花
裏山の光のなかで蠅を焼く

先に引いた9句に見えるのは、俳句がまだ経験していない豊かさ。鉱脈としてどこかに存するはずの豊かさへと、手を伸ばそうとする挙措である。後に引いた3句は、俳句がすでに持っている豊かさに悦ばしく依拠している。

いずれも確かな詩性を帯びている。だが、ここにあるのは俳句である。「詩」であれば、そこの象徴性や暗喩を読み取ることもするべきだろうが、これらの「俳句」はそこに提示されたもの以外に何を言っているわけでもない。「述べる」ことから逃れている(多くの俳句が「述べる」ことに終始するなか、これはみごとな仕事である)。なにものも述べないとして、そこに残るのは、語の醸す空気や一句へと彫琢された肌理のみである。

さて掲句。「北極」「墓地」「消防士」という3つの事物な正三角形のように合わさる。これは俳句従来のノウハウから言えば、適切な手法とはいえない。同じことが3回繰り返されるようなものだ。けれども、俳句の方法の外にも、おもしろいことは起こる。あっけらかんと3つが並び、結果、物語(最初に言った、リリカルな仕掛けを纏った物語)の物語性を裏切っていく。一筋縄では行かない句が多く収められたこの句集のなかでも、とりわけクセモノな一句であると踏んでいるのだが。

『メキシコ料理店』(角川書店2006年12月)より。
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by tenki00 | 2007-01-29 23:05 | haiku-manyuuki
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