俳句漫遊記90 近藤十四郎

青蜜柑ノートは糸で縫ってある  十四郎

今から8年前、句会(ファクス時代オクンチ)でこの句をいただくについて、私は、「嫌なもの、くだらないと思うものをひとつひとつ取り去っていくと、世界にはこういう事実しか残らないと、つねづね考えている」と書いた。今もこれはあまり変わっていない、「嫌なもの、くだらないと思うもの」という部分を、「どうでもいいんじゃないのと思うもの」に替えるくらいか。

思いとか考えとか、いろいろあっても、「そんなもん、どうでもいいんじゃないの」とひとつひとつ打ち捨てていく。そして残るのは、「ノートの糸」という、ある人にとっては「それこそどうでもいいもの」かもしれない。

「どうでもいいこと」には2種類がある。茸と同じ。よい茸と悪い茸。
そして、ある人の床(ゆか)は、別の人の天井だったりする(とポール・サイモンは歌った)。

ところでこの句、榮猿丸さんおっしゃるところのサバービアな句、なのではないか、とも思ってしまう。なおかつ、表面主義的

青蜜柑。これから始まろうとする季節、果実、世界。糸で縫ってあるノート。これから生きようとするすべての時間。

なんとかわいらしく、なんと胸に満ちてくる句でしょう! やっぱり、そうなんです。どうでもいいことこそが、大事なことなのです。
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by tenki00 | 2006-10-13 22:10 | haiku-manyuuki
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