歳時記を買うの巻 第5回(最終回)

音楽をやるとき、「この音は、この和音のとき使っていいと、教則本に書いてあったから使った」、あるいは逆に、「書いてないから、使えないはず」などというセリフを誰かが吐いたとしたら、「幼稚園児は、帰ってよし」と、われわれミュージシャン(笑)は言う。「自分の鳴らす音くらい自分で決めよ。鳴らしてみて判断せよ」という話なのだ。

ところが、俳句をやっていると、歳時記にこうあるから、歳時記に書いてないから、という文言を少なからず聞く。歳時記に決めてもらうことではなかろう。歳時記を参考にするのはいいが、歳時記が何かを保障してくれるわけではない。

もちろん、自分で決めて使った語(季語)を、他人様がどう読むかはいろいろである。「この時季に、その季語は、どうよ?」「この季語のこういう使い方、どうよ?」と言われたら、そのとき謙虚に受け止め、自分で考えればいいわけだ。

一般に、各種の俳句歳時記自体は、季語の体系化・秩序形成を企図したものかもしれない。しかし、俳句をつくる人、読む人が、その各個ばらばらの(ということは秩序にはなり得ないわけだが)、その秩序・体系にどこまで従うか、言い換えれば、どこまで依拠するかは、個人の決めることで、歳時記との付き合い方は、人それぞれということだ。

以上、私自身の、季語と俳句歳時記についてのスタンスを前提に、今回が「歳時記を買う」シリーズの(きっと)最終回。

歳時記を買うの巻 第1回~第4回 は以下の記事。
http://tenki00.exblog.jp/3381607/
http://tenki00.exblog.jp/3382224/
http://tenki00.exblog.jp/3385539/
http://tenki00.exblog.jp/3396430/

で、結局、新しく歳時記を買ったのかというと、買った。『最新俳句歳時記』(山本健吉編・文藝春秋)全5冊。「日本の古本屋」サイトで四千いくらかだったと思う。

『俳句』2006年6月号の特集「歳時記」を読み、多頁を割いた座談など、そうとうにつまらなかった一方で、いくつかの歳時記に興味が湧いた。ひとつは、虚子編の1冊本の歳時記。これは先日、吟行句会と歌仙でご一緒させていただいた猫髭さんがお持ちで、ぱらぱら見せていただいたが、本としてなかなか興味深かった。収録季語数を絞って、実用本位の感じ。もうひとつが、上記、山本健吉編『最新俳句歳時記』で、注文して届いてみると、横長の判型で、表紙のクロスの色が渋い。この体裁だけで、ちょっと気に入った。でも、ふだん使うかというと、使いそうになく、少しのあいだ眺めて楽しむだけだろう。

使わない理由は分冊であること。例えば、今の時期、夏と秋、どちらを持ち歩くか? 立秋を過ぎたから「秋」という答えには、私の場合は、ならない。まだ夏でしょ? 秋なのは「暦の上だけ」。携行は1冊本がいい。その意味では前述の虚子歳時記には、ちょっと食指が動くざんす。

で、結局、なにを使っているかというと、相変わらず、外では『季寄せ』、部屋で必要が生じたときだけ、講談社『日本大歳時記』。結局、昔と同じで、それなら別の歳時記を検討することもなかったじゃないか?というわけだが、まあ、ぐるっと廻って同じ場所でも、その「ぐるっと」に少しは意味があると信じることにしよう。

ここからは余談。
この夏から刊行の始まった角川の『俳句大歳時記』について、アマゾンにカスタマーレビューがひとつ載っている(記事はこちら)。以下引用。
「紳士録商売」と揶揄する向きもあるが、私は作品さえよければそんなことはどうでもいいのであって、古典ではない現代の作品をまとまって読めるのはいいことだと思う。もちろん個人的感想をいえばつまらない例句が散見できるが、それはあらゆる歳時記・俳句誌にもいえることなので気にはしない。むしろ時間という安全無難・最大公約数・日和見的選別を受けていない分、読み手の力を試されている面白さがあるともいえる。

「紳士録商法」という言葉は、「歳時記を買う・第2回」ほかで使った。同じ記事で「時間の経過という評価の濾過」に意義を見出すとも書いている。カスタマーレビューの書き手が、このブログを読んだはずもなかろうが、奇妙に符合して、私とはまったく別の見方・考え方が示されている(ただ、商品レビューという気安さもあってか、論理がボロボロなのが残念)。

角川の『俳句大歳時記』について、もうひとつ余談。誤記(内容的な誤り)や誤植のことを、各所での雑談で頻繁に耳にする。といって、だからダメ、というのではない。書籍には、特にこうした編集面の負荷の大きな書籍には、少なからぬ誤植・誤記がつきもの。きっと今頃、編集部に置かれた「校正用」の1冊(次の刷で訂正を入れるために、どこでもコレを用意する)は、赤字と付箋だらけのはず。購入しようという人は、初版・初刷でなく(丹念な訂正を期待して)次の版・次の刷を買うという選択も、消費者として、アリかもしれない。
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by tenki00 | 2006-08-22 23:04 | haiku
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