というものがあるらしい。
といっても意味が通じにくいが、俳句はとっとことっとこ気ままにつくっているうちはそれほど疲れないが、自選という作業がそこに挟まると、どかんと疲れる。自分がつくった句とすこし冷静に向き合うことは、やはりエネルギーを要する。でもって、すこしばかり嫌な疲れ方をする。
毎月、麦の会への投句で7句+5句の自選のたびに消耗するわけだが、考えてみれば、そういう消耗が定期的にあるのはよいことなのだろう。でないと、奇妙な躁状態のまま、句をつくりつづけることになる(句をつくるのはなにがしかの躁がなければ、やってられない)。それを冷却する意味から、自選の作業が必要のようだ。
毎月の投句に加えて、3月は麦の会「収穫祭」への30句、毎日俳句大賞へ賞品目当ての2句、さらについ最近は、ひょんなことから投句してしまった20句。この春は予想外に自分の句をたくさん読むはめになり、どっと疲れた。
自分の句とうまく付き合うのは、とても難しい。めげてばかりでは遊びが続かないし、めげなければ、まるっきりのバカ。自分を処するのが難しいのと同等に、自分の句と付き合うのは難しい。