かばん

一澤帆布がなかなかたいへんらしい。
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_03/t2006030119.html

このズックの、いかにももっさりした鞄、私にはどうもピンと来ない。なんであんなものをわざわざ持つの? 愛用してる人がいたら御容赦。

興味がない、というより、大袈裟に言えば嫌悪感みたいなものがあるのだが、それはただデザインとか材質が、というよりも、その記号性みたいなもの、それがどうにも苦手なのだ。

この鞄、だいたいは、ちょっと知的な感じを匂わせたい人が持つというイメージがある。「知識人」という呼ばれ方を憶面もなく受け入れるタイプの人。実際、誰が持っていたか、思い出すのは難しいが(最近、とりわけ俳句関係では見ないなあ)、むかしむかし文化人類学の勉強会で山口昌男がこれを肩からぶら下げていたような気がする(記憶違いならゴメン)。山口昌男の本はおもしろいのだが、これをぶら下げるのはやめてほしいと、そのとき思ったような気がする。ぜんぜん根拠のない嫌悪感なんだけどね。

考えてみるに、かばんというのは、洋服と同じか、それ以上に、その人の「感じ」を表徴するものでもあるような気がする。これは、女性よりも男性の場合。というのは、私が見た場合という意味だが。つまり、異性のかばんに関しては「記号性」よりも、むしろ「気持ち」の部分になるからだろう。「素敵なかばんだな」と、女性を素敵と思うのと同じ心性で受け止めている。

例えばスーツ姿の若いサラリーマンが、A4サイズくらいの小さくてペチャンコのブリーフケースを持っているのを見ると、「なんか仕事ができなさそうだ」と思ってしまうし、ゼロハリバートンのジュラルミン・ブリーフケースを持ったスーツ姿なら、「いかにも」な人なのだろうと思う(どう、いかにも、なのか、うまく言えないが、中から取り出すノートPCはまちがってもソニーVAIOではなくIBMシンクパッド、ちょっと古いけど分厚いシステム手帳。そんな「いかにも」)。

じゃあ、おまえはどうなんだ?と訊かれたら、その記号性というのがよくわからないから、いい加減な話なのだが、かばんは好きなので、選んで買う。ふだんは、サザビー(このメーカーがお気に入りのひとつ)の小さめのリュックを使っているが、それでは済まない場所では、会社員みたいなかばんを持つ。つまりシノギ用のかばんだ。これは現在、やはり、サザビーのかばん、柔らかい生地のタイプ。たくさん入って、軽い。基本的には大きめのかばんを選ぶ。「なんで、そんなに持ち運ぶ物がある?」といわれそうなくらいに、大きめ重めになってしまうのだが、本人は、そうでないと落ち着かない。その理由はよくわからない。

むかし、弟から海外旅行のおみやげにコーチのビジネスバッグをもらい(気前のいい弟だ)、日本では売っていない型ということもあって、気に入って使っていたが、ある日、初めて会った株屋のオヤジ(経済評論家)が、そのかばんを見て、「おっ、稼いでるねえ」などと言ってきやがった。ううむ、これはまずい。オカネに苦労していないように思われるのは、商売上、こっちに不利と見て、コーチのかばんを持つのをやめた。重いという理由もあったが、それ以来、使っていないので、このかばんには不憫なことだ。

まあ、そんなこんなで、かばんの話。くだらないのだが、なぜか、かばんというのは、気になるものなのだ、自分にとって。

と、書いたところで、ちらほら出てくるブランド名やら小物やらが、20年かそこら昔の感じであることに気づいた。読む人が読めば、大笑いなネタだろう。恥ずかしいが、まま、いいか、と。
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by tenki00 | 2006-03-01 18:53 | pastime
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