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「青年」の俳句

ハイクマシーンのあやかさんとユースケさんがそれぞれのブログに、『現代俳句』2006年2月号掲載の記事を転載していらっしゃる。現代俳句協会青年部勉強会というものに出席したときのことを書いたものだという。

あやかさんの記事↓
http://newmicrowaveoven.blog45.fc2.com/blog-entry-15.html
ユースケさんの記事↓
http://forhaiku.exblog.jp/543818/

『現代俳句』という文字には見覚えがあった。そんな郵便物が届いていたような気がして、探してみると、あったので封を切り、ページをめくった。へえ。たじまさんが司会進行でしたか? ご苦労様でございました。橋本直氏と中村安伸氏の報告・まとめ記事もあるので、この冊子をお持ちの方は、これらを併せて読むと、勉強会の模様のざっとしたところはわかる。

まず、あやかさんの記事を拝読(ページ順)。10代から20代の青年俳人の出自として、①親が俳人、②大学の俳句会、③俳句甲子園の3つのカテゴリーが挙げられている。俳壇社会学に疎い私などは、ふうんという感じで興味深い。特に③。「俳句甲子園」というイベントのことは聞いたことはあるが、出自の1カテゴリーになるほどの若手俳人排出元になっていることにすこし驚いた。でも、そういえば、あやかさんもユースケさんも、この③?(まちがってたらごめん)。

次に、ユースケさんの記事を拝読。まずはお約束のツッコミ。この記事の「雑感」というタイトル!(笑。前にも、ユースケさんの「じじむささ」のことを申し上げたが、「雑感」って、あなた(笑。私としては、もう、「じじむささ」はユースケさんの立派な持ち味として認定することにした。さて、記事は、ご覧のように、「句集と市場」にまずは焦点が当てられている(この件は、ちょっと込み入るし、また1年ほど前に、たじまさんや雄鬼さんとブログを通して盛んにやりとりしたこともあって私なりの把握があるので、また別の機会に書くことにする)。

『現代俳句』誌上、ページにして5ページ。たったこれだけの分量でも、いろいろと興味深いことがある。それを書き連ねてもしかたないので、私なりのトピックを。

お二人に共通するのは、現状を甘受していないこと。まあ、簡単に言ってしまえば、同世代に向けて「こんなんじゃダメでしょ? もっとがんばろう!」ということ。そのための方策にはいろいろあるにしても、かなり腰の入ったスタンスだ。そして、旧体制(と呼んでいいんだろうな、きっと)への不服従、自立独立も共通している。

あやかさんは書く。
ママから自立せよ、主宰に異を唱えよ、学生俳句大賞の栄光を捨てよ、そして俳句を作ろう。そこが若手俳人としてのゼロ地点じゃないだろうか。

まあ、そのとおりだろう。学生俳句大賞(こんな賞があるんですね)を栄光(!)と捉えるような、おこちゃま状態では困りものだ(オトナや年寄りにもいそうだけど。ナントカ賞以後、とたんに胸を張ったり)。

そしてユースケさんの記事の締めには「反抗」という言葉がちりばめられている。

両方とも、戦術として「煽り」の成分を濃くしたのだろうが、ともかく威勢がいい。年長の俳人、俳句愛好者がどう受け止めるかは知らないが、私は、それとは別に、まず、お二人の把握する俳句の現状、お二人を取り囲む俳句の現状に、旧体制への服従・依存の傾向がきわめて強いことを思い、興味深かった。これはこの年代に特有の傾向なのか? 

いろいろよくわからないところがあるが、きっと若い人たちに、主宰や結社体制、もっと言えば俳壇体制に「すり寄る」ような態度が目立つということなのだろう。

「反抗」や「主宰に異を唱える」ということ。それが方法として有効と思うなら、(それらが実際に有効かどうかはさておき)どんどんやったらいいと思う。

ただ、その反抗や異論は、あやかさんやユースケさんが思うほど強い反発に会わないような気もする。なぜなら、俳壇は高齢化している。「若いというだけで、ちやほやされる」のだ。場がどこであれ、反抗や異論を喜んで受け止める可能性が高い。「若いから、それくらいでなくっちゃ」というわけだ。

だが、それこそが、若いモンにとってきわめて居心地の悪い状態なのだと想像する。若い人について、むしろ、そのことのほうを心配する。「若いというだけでちやほやされる」この事実と、若い人は戦っていかねばならないのだ。これは、ある意味、「若いというだけの理由で認めてもらえない」状態よりも、戦う相手として手強い。

私は若い人に(根拠のない)シンパシーを持っているので、お節介ながら、若い俳人・俳句愛好者に、この場から、次のことを告げておきたい。

「さすが若いだけあって」「感性が若い/新鮮/私たちには真似のできない云々」「若いから将来が楽しみ」……こうした年齢条件付きの賛辞や期待を口にする爺さん婆さんおっさんおばはんを絶対に信じてはいけない。

若い人は、「青年の俳句」が作りたいわけじゃないでしょ? 「俳句」が作りたいのだ。私は、「若い俳句」を読みたいわけではない。「俳句」が読みたいのだ。

それから「若い人が俳句を変えていってほしい、未来を担ってほしい」なんて口にする年寄りも、そう。

俳句を変えたいなら自分でやれよ、自分で担えよ、60歳だろうが90歳だろうが、という話なのだ。
by tenki00 | 2006-01-31 21:30 | haiku
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