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相同

信治さんが田中裕明の句をとりあげていらっしゃる

  濯ぎものたまりて山に毛蟲満つ   田中裕明

「時間」がテーマである、信治さんは書く。
「場所」が二つあって、両方で「時間」が進行している。この二つの「時間」の関係が、分かりにくい。というか、書いてない(笑)。

私などは、頭が単純だから、書いてなければ「同時」。基本的に俳句は「同時」ということで読む。というか、同時である以上時間は「ない」とも解する。いわゆるdefault。俳句を読むよときの、あるいは言葉を解するときのプロトコルとして、疑いもなく…。時間をdefault化する私の頭のなかでは、この句は明瞭でシンプルな美しさに満ちている。

信治さんの記事にはもうひとつ、句が掲げられている。

  指先の赤くて地虫出でにけり   田中裕明

この句も「濯ぎもの~」と同様、私には明快で、至極面白い。句の主成分としては「相同(homology)。信治さんが別の記事で「似たもの探し」と呼んでいらっしゃったものだと思う。

   濯ぎものたまりて山に毛蟲満つ
(換)濯ぎもの満つ・山に毛蟲たまる

相同とは、形状においてだけ言うのではない。濯ぎものと毛蟲は互換可能、句のなかで同じ変数となる。構造@レヴィ=ストロースが同じということ。ま、そんなもの持ち出す必要もないんだけど。

   指先の赤くて地虫出でにけり
(換)地虫赤くて指先の出でにけり
      ※地虫が赤いなんて言ってるのではない。為念。構造内の変数互換。
  
以上のようにパラフレーズするのは、もちろん説明のための遊びに過ぎない。「相同」に関連する心の作用によって、2つのものが、悦ばしく接合する。この一文に説明を加えると、次のようになる。

 句の以前にはべつべつだった2つのものが、句によって悦ばしく接合する。

ここにこそ、俳句の入り込む隙がある。これは俳句特有の作用であり、俳句的悦楽のひとつである。

信治さんの挙げられた「時間」というテーマは、私にはよくわからなかったので、話題が逸れてしまった。けど、まあ、こういう展開もいいんだよね?(って、誰に訊いてる?)

それにしても、この田中裕明という人の句、おもしろいですねえ。衝動的に注文しちゃった。

追記:
信治さんが依拠された記事を、あとから読んだ。↓
http://blog.drecom.jp/sternskarte/archive/39
ここでは「濯ぎもの」の句は、同一時間軸上の空間的二点という捉え方だ。とりあえず、上記の私の記事は、この記事とはクロスせず、別の話題だが、このブログには田中裕明の句がたくさん取り上げられている。興味のある方はご一読を。
by tenki00 | 2006-01-25 17:57 | haiku
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