荻窪

だかどこだか忘れたが、あのへんの玉突屋に、むかし弟が出かけたときの話である。

その頃の東京は今のようにポケットビリヤードではなく四つ玉が盛んだった。玉突屋にはひとりで出かけてもお相手はいた。弟はその玉突屋は初めてで、常連らしきおじさんがお相手となった。

四つ玉は、対戦相手の点数を声を出して数えるのが慣わしだ。おじさんが突いているあいだは弟が数え、弟が突いているあいだはおじさんが数える。どこかで聞いた声だなあと思いながら玉を突いていたが、そのうちおじさんのキューケースに名前が書いてあるのに気づいた。高田。

「高田渡だ」

むかし中央線沿線は、そういう場所だった。どういう場所って、うまく言えないが、そういう感じ。私は高校生のとき、ラジオを聞きながら、中央線という言葉を知った。いわゆるフォークソングという脈絡だ。フォークは大嫌いだったけれど、なぜか中央線沿線という場所は気になった。それで、大学というものをなんとなく考えなくてはいけなくなったとき(周りのみんなが行くから行くという、ずぶずぶのマジョリティでありました)、行くならあのへんかなあと漠然と考え、そのへんにどんな学校があるのか調べた。

高田渡の音楽を愛したことがあるわけではないが、弟の話は興味深く聞いた。そして、「中央線だなあ」と思った。そのとき私自身も、えらくはじっこではあるが、中央線沿線に住んでいたのだけれど。

高田渡が亡くなった
16日午前1時22分、心不全のため入院先の北海道釧路市の病院で死去。56歳。

高田渡といえば、現在は、みうらじゅんの存在が欠かせないように思う。高田渡リバイバルにみうらじゅんは重要な役割を果たしたのではなかったか。あと1時間もすると、FMラジオ(J-WAVE)で、みうらじゅんと安斎肇の番組が始まる。今夜は夜更かしして、ラジオを聞いてみようかと考えている。
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by tenki00 | 2005-04-17 00:54 | pastime
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