俳句への姿勢を問われるの巻

直近の句会のことを書くと、いろいろめんどうなことを招くので、「すこし前の某句会」といった嫌らしい書き方も処世のひとつとしてせねばならない。まあ、句会の話というのは十中八九どうでもいい話だから、そのつもりで。

まず、その前に、短冊のりっぱさと、句会に並ぶ句のりっぱさとは、反比例するというのが、私の句会経験から割り出された法則なのだが、どお? きちんと裁断された新しく綺麗な紙を渡される句会ほど、句はつまらない。何かの紙の裏を使って適当に切った短冊を使う句会のほうが、句が揃っている。これには何か理屈があるんだろうけど。

さて、句会のあとの飲み会である。あまり馴染みのないメンツも多く出席する句会に出かけた。だいぶ前のこと。

いつか、峠谷さんが豆の木の掲示板で、人としての修練の一環として(というと大袈裟だが)俳句をやっている人たちがいる、簡単に言えば人としてりっぱになるための俳句、みたいな捉え方をする人たちがいるというようなことを書いておられた。

まわりを見渡しても、そんな人、そんな雰囲気は皆無で、それどころか、人間としてどーなの? 生活不具? という人たちが、私を中心にして多い。これは私がそうだからか? つまり、そんなの、実感として、ない。

でもね、思い当たる節はある。なんか、奇妙に真面目に俳句に取り組んでいる、まあ、力の入れ方が違うんじゃないの?と思うような感じもあるのだが、ともかく、俳句=修練、みたいな、一種の上昇志向で取り組む人。

話がどこか行っちゃったが、そうそう、句会後の懇親会である。席につくと、隣は、ほとんど初対面といっていいおばちゃん(世間ではおばあちゃんかな?)だった。自然と、周りも含めて俳句の話になる。ところが、そのおばちゃんの俳句の話、なんか修業っぽい。あるいは「文学的な高み」みたいな感じだ。

スランプ、なんてことを、おっしゃる。私は意地の悪い人間だから、「スランプ」という言葉はまず口にしない。「じゃあ、スランプじゃないときの句を見せてよ」という反応をセットとして想定してしまうからもあるし、実際、スランプなどという言葉は、野球で言えば、レギュラーポジションが穫れてからの話だろう?とも思ってしまうからなのだが、それはそうとして、おばちゃん(たち)の話は、ちょっと抽象的な言い方をすると、「俳句が何かを為すことができる」という前提に立っているようで、そうなると、ひねくれ者の私は、「俳句という暇つぶしが何物かを形作ることはあり得ない」みたいなスタンスを色濃くしてしまう。実際、そうだから、俳句は面白いのだが、暇つぶし的な捉え方は、あまり通用しない。つぶすべき暇の量は、食べていくシノギに精一杯の私よりも、おばちゃんたちのほうが、どう見ても、はるかに多い。にもかかわらず、俳句を暇つぶしと捉えたくないようだ。不思議。

そののち、私の俳句への姿勢みたいなものについて質問を受けたように憶えているが、どう答えたかは憶えていない。半分は真面目に、半分はさすがに、はぐらかして答えたに違いない。

そうこうするうち、いつものとおり、パイプ煙草の缶をテーブルに置いて、パイプをくゆらした。紙巻き煙草とちがって、パイプは、他人に煙たくないし(ほんとだってば)、その香りは酒や食事の妨げにはならず(ほんとだってば)、かえって食事がおいしく感じられるほどだから(ほんとだってば)、周囲には煙草を吸わない人が多いことはわかっていたが、くゆらしていた。

すると、隣に坐ったおばちゃんが、煙草の缶をめずらしいものを見るような顔つきで、「これ、たばこ?」。他の何物にも見えようはずはないのだが、「はい」と答える。すると、場を和ませる冗談のつもりだろう、「違法なたばこじゃないわよね?」。無税で買っているから、脱法かもしれないが、いわゆる、その手の葉っぱというニュアンスだ。なんか、そういう冗談を口にされるとなると、こっちも悪戯心が出てきて、ひとときの会話を楽しまなきゃ、と変な義理立てに走ってしまい、「はい、マリファナじゃないですよ」と答えた。

ちょっと間があって、おばちゃん、「それはよかった。そんなの吸ってないわよね」。この年齢で、そんな遊び、してるわけないので、「はい、若いときだけですね、あんなの」と答える、。すると、また間があって、私の顔をまじまじと見つめ、「うん。ダメよ」。何がダメなのかわからないが、私を見るおばちゃんの目が、見たことのないものを見る目つきになっている。また間があって「昔はよく吸っていたの?」。

そういう、ナマ焼けの鰤の照り焼きのような質問には、俳句的な応答が非常に難しい。措辞も何もなく「はい」と答えると、また間があく。このままでは、会話が途切れる(フランス風に言えば、天使が通り過ぎる)。そこで、酒席ではサービス精神がありあまって、ときとして男芸者と化す私の悪い癖が出て、「あれは、セックスの前に軽くやるのがいいんですよね。重くじゃなく」と、気を遣ったつもりが我ながら年甲斐のない返答をしてしまったら、おばちゃん、目をまるくしたまま、黙ってしまって、ほんとに天使が通り過ぎ、そのうち、どこか別の席に行ってしまった。

で、何の話だっけ? 俳句における求道的なノリ。それは私の近くにないだけで、確かに、どこかにはあるのだった。
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by tenki00 | 2005-11-17 10:40 | haiku
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