先生

yuki氏がレッスンを受けに出かけた。演奏会が近づいたので、大学時代についていた先生のレッスンである。5時間みっちり。その後、夜遅く帰ってきた。先生は78歳。化け物のように元気な先生だ。ふだん会うことはあまりないらしいが、こういう機会には当然のように「それではレッスンを」ということになるという。

途中、先生は急に話し始める。
「ねえ、yukiちゃん。人間はね、むかし4本脚で歩いていたのよ」
「?」
「手はね、むかし脚だったの。ほら馬は前脚をこうやって蹴って、すごく速く走るでしょ?」
(人間の先祖は馬?)
「シューマンもね、もっと肘から肩を使えばいいの」
(ふむふむ)
レッスンが続き、1曲が終わる。別の話が始まる。
「チャールズはね、オペラのこともよくわかっていてね…」

ここで私がyuki氏に訊く。チャールズって誰?
yuki氏が答える。「チャールズ皇太子」
そのチャールズの話は私にはややこし過ぎて、頭に入らなかったので割愛。

先生の話はレッスンの息抜きではない。無駄話でもない。すべて、目の前にあるピアノとその演奏、弟子の演奏についての話なのだという。その先生のレッスンを受けた人のなかには、「何を言っているのかわからない」という人も多いらしい。でも、yuki氏は「いまもむかしも、先生の言いたいことがわかる」という。

私は羨ましかった。何十年たった今も「絶対的な先生」がいるyuki氏が、すごく羨ましかった。けれども、これは、内田樹『先生はエライ』にもあるように、僥倖なのではない。その先生を、今も変わらず、先生たらしめているのは、その先生の資質よりもむしろyuki氏の姿勢だろうから。「先生」を発見し、いつまでも「先生」としての輝きを失わせない。それができているyuki氏を、私は心底羨ましいと思ったのだ。
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by tenki00 | 2005-11-12 23:58 | pastime
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