遊ぶこと・含羞ということ

佐山哲郎句集『娑婆娑婆』が増刷になったそうだ。

  逝く春を交尾の人と惜しみける  佐山哲郎

この句は、この句集の3つの要素を併せ持つという意味で特別な句と言っていい。つまり…

もじり
語呂合わせ
エロ

この3つ。

(もじりという点で、なぜ芭蕉の原典とは違う「逝く」になっているのか、私には疑問。ここは「行く」でしょう)


ところで、この句集の出版記念会にお邪魔してきたのですが、皆さんの挨拶に、「この句集は、言葉遊びだけではない」というセリフが多かった。つまり、もじり、語呂合わせ以外にも、いいところがたくさんあるということを、多くの方がおっしゃっていた。

これを聞いていて、ああ≪言葉遊び≫がずいぶんと虐げられているのだなあ、と思いました。

遊んで、悪いですか? 言葉遊びは恥ずべきことなんでしょうか?

『娑婆娑婆』の最大の魅力は、素晴らしく馬鹿馬鹿しい遊びに満ちているところです。馬鹿馬鹿しくない句も、そりゃあ、もちろんありますが、そこはストロングポイントにはならない。

俳句世間一般、遊んでいない句、遊べていない句、そこそこマジメで、そこそこ巧く行っていない句、もっと言ってしまえば、そこそこヘタなマジメ句なんて、掃いて捨てるほどあるじゃないですか。

佐山哲郎氏の句は、フマジメです。そして、巧いです。そして、遊ばずにはいられないという、含羞。ここが大事なところです。

(大マジメでしか俳句をやらないという人には、「少しは恥ずかしがってくださいよ」と申し上げたくなります)


為念。誰もが、佐山哲郎氏のような句をつくるべきなんて言ってるんじゃないですよ。遊び方は、人それそれですからね。


d0022722_020186.jpg
句集『娑婆娑婆』の購入はこちら

[PR]
by tenki00 | 2011-09-25 11:00 | haiku-manyuuki
<< 江戸川 配偶者 有・無 >>