脱帽って?

清水哲男氏のツイート
http://twitter.com/sekihan/status/27617029829693440

太宰治、おもしろい人。

「襟を正す」とかいう比喩はよく目にします。新聞や雑誌の「定型文」でどんどん定着していったのだろう。しかし、襟をどう正すのか、いまひとつ、その動作、状態が見えてこない。
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コレは違うよね? それとも、合ってる?

どんなんだろう? 辞書には「乱れた衣服を整え、姿勢を正しくすること。また、気持ちを引き締めること。」とある。背広の襟とかがひんまがっていたりするのを整えるということだろうか。

イメージできない。


イメージと言えば、「脱帽」という語がある。

「脱帽です」という言い方をときどき目にする(俳句を誉めるときとかもね)。ところが、これ、絵をアタマに思い描くと、どうにも妙なのだ。

老若男女、使うみたいだが、言った人が若い女性だったりすると、たいへん奇妙な絵が、アタマの中で出来上がる。知っている人だと、顔まで思い浮かぶ。どんな帽子だろう。ニットのキャップか。まさか、野球帽ではあるまい。デコラティブで、それこそ森を駆けるような帽子? それを脱いだと言われても、なんだか意味がわからない。

こういうのは、絵としてイメージしてはいけないのだろう。成句だから、絵は、もう、ない。そうは思うものの、これ、性分なのか、なんなのか、かならず「絵」がついてくるのだ。



絵とは別に、そのまま受け取るべきではない誇張表現が、気になってしまうことがある。「襟を正す」とかも、誇張のひとつだろうが、例えばインターネット上の「号泣」というセリフ。

去年の暮だったか、鈴木慶一やムーンライダーズのスタジオライヴをネット放送していて、この「号泣」というコメントがさかんに流れたのだったが、

  「このひと、号泣してないよね」

と思いながら見ていた。

おかしいもの。号泣しながら、キーボード打てないでしょ? 号泣しながら、goukyuu→スペースキーで変換→リターンキーで決定→送信、だなんて、どう考えてもおかしいもの。

「号泣」という言明は、つまり、「泣いてしまいそうだ。それくらい心が動かされた」の誇張だと思ってはいても、やはり、「なにそれ? 号泣してないくせに」と思ってしまう。

だいたい、一生のうち、号泣することって、何回ある? 一度もない人だっているでしょう?

これは、私が素直じゃない(ひんまがっている)性格というよりも、「号泣」にも「絵」を思い描かずにはおれない、この性分のせいだと思う。

つまり、ヴィジュアル系ということ?

これは単に意味の間違いだ。




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by tenki00 | 2011-01-19 18:00 | pastime
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