お茶の水駅

週刊俳句・第157号(2010年4月25日)の表紙に使った写真。
d0022722_0521394.jpg


ポジフィルム(コダクロームの何か)でぱしゃっと撮った、いいかげんな写真。じょうずな人ががっちり撮ったらまったく別の写真になるのだが、それはそれ、これはこれでいいのだと思うことにしている。

お茶の水駅から北へ渡るお茶の水橋(写真に見えているのが聖橋)。橋を渡るとき、かならず、下を覗き、遠くを眺めてしまう。昼でも夜でも。これは習性(写真は撮らないけどね)。



写真を撮るのが好きで、でも写真がヘタという自分は、偶然を楽しむ。電車のあかりが草むらの緑を見せてくれたり、聖橋の橋の内側に光が満ちていたり。プロは計算ができないと務まらないが、ヘタなアマチュアは計算外・想像外こそが楽しみ。

じょうずな人とへたな人は、見たものが写真になるのではないという点では共通しているが、喜びの質はかなり違うと思う。



ヘタクソは、じょうずな人のようには撮れないけれど、逆もまた言えて、じょうずな人は、へたな人のようには撮れない。

俳句も同じだと思っている。ヘタは、じょうずな人が絶対につくれないような俳句がつくれる。だから、みんなそれぞれでいい。そう思ったほうが楽しい。というか、そう思うべきなのだ。


あ、でも、俳句の場合、「へた以前」というのが、すごくたくさんなわけなんですけどね。




[PR]
by tenki00 | 2011-01-09 10:00 | sampo
<< むかしの鉄道 日本人の品質 >>