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パンキッシュな事象(仮)

『超新撰21』の冒頭に置かれた種田スガルさんの100句(公募枠)をめぐって、ツイッター上、OKかOKじゃないか、アリかナシかのカミングアウトがひとしきり。

踏み絵かよ?w と。あるいは、カレーライスのヘンなトッピングの話みたいで、笑った。マヨネーズ、アリかナシか、みたいな。

パンク的なもの、というと、「こんなのパンクじゃない」と怒る音楽ファンもいらっしゃるが、パンク自体に価値があるわけでもなく、パンクだから、いい、と言ってるわけでもない。いや、それよりも、賞とかの公募に応募していることからして、ぜんぜんパンクではないのですが、まあ、かたいことを言わずに、とりあえず、既存の俳句から「破壊的」なまでにはずれたものを「パンク的」と呼んでもいいと思う。

この「とりあえずパンク」的な俳句が、評価を受けるという流れは、第3回芝不器男俳句新人賞(2010年)の御中虫さんからのもので、そういえば、あのときも、踏み絵・ヘンなトッピング、アリかナシかの話題で(一部)盛り上がっていた。

そんな皮相な反応は、しかし、理由のないことではなく、この手の作品に否定的な場合、深く込み入った話をしたがらないという傾向がある。かといって、短い言葉で評すれば、なんだか暴力的な感じにもなってしまう(例:痛い、もういい)。だから、否定派は、(公式には)アリかナシかくらいにとどめおく(非公式には、つまりしゃべってるぶんにはいろいろ聞ける)。

一方、肯定派からも、あまり内容のある称揚が出てこない。これまでに積み上げられた俳句称揚の言い回し(定型文)がいまひとつ使えないのだろう。

かくして、アリ・ナシの態度表明以上のものが出てくることは、残念なことに、ほとんどない。

高山れおなさんの小論(『超新撰21』所収)を除いては、ツイッター上、@micropopster さんが指摘した無季自由律とJ-POP歌詞の相同というか関連くらいのものかな、いまのところ。

今回の意見表明を見ていて思うのは、いまさらながら、「俳句」とひとくちに言っても、みんな、見ているものは、微妙に、あるいは大きく違うのだということ。ふだんは、それを忘れたふりだか、気づかないでか、「あの句集は~」とか「あの句は~」とか、ふつうに語り合っている。でも、アナタとワタシと、カレとアナタと、見ているものは、まったく違ってるかもしれない。

この状態を、文化相対主義の蛸、と呼ぶことに、いま決めた。

いつもは、「俳句」という巨大な座が存在するという、ほんわかした楽観論を持っているワタシですが、ときどき、このように、「みんなてんでバラバラのものしか見てないね」という、寒風吹きすさぶなかにマフラー忘れてきちゃったような思いを味わうのでした。


『超新撰21』(邑書林)

by tenki00 | 2010-12-15 19:33 | haiku
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