奇遇

新聞がなくなるとゆうブツの印刷入稿のあと、K社長と連れだってデザイナーさんのところに、別件の装幀(マダガスカル本)の打ち合わせに行く。やっぱソフトカバーでしょ。でもある程度高級感は出したいし、とゆうような話になって、デザイナーさんが、「こんな感じ?」と、最近手がけた書籍を取り出してきた。「自費出版なんですが…」と机の上に置かれた本の表紙に「追悼」の文字があった。

そこで私の目が止まり、打ち合わせは進んでいるのに、アタマが止まってしまった。追悼の文字の前にある人の名。それは中学高校の1つ上の先輩の名だった。

亡くなったことは人づてに聞いていた。有名とは言えなかったが、Tさんは小説家だった。パラパラとめくると、その中学高校の頃のTさんのことも出てくる。年譜を見ると、Tさんが高校のとき、文化祭でやった「ある吸血鬼の私生活」とかなんとかいうドラマのことが記載されていて、それを見たとたん、ぐわーっと昔のことを思い出した。Tさんが脚本・演出・主演。ドタバタ(カッコよく言えばスラップスティック)な挿入シークエンスもあって、なかなかにエンターテインメント。全体にはスタイリッシュで軽妙なドラマ。こんなことをやってしまう一つ年上のTさんを、15歳か16歳の私たちは、畏敬の念をもって眺めた。

私が東京に出てきた年、友だちとTさんを訪ねた(その友だちは今年なくなってお葬式にも出かけた友人だ)。上智に通い赤坂のマンションに住み、書架やデスクは今で言うシステムファニチャー。高級オーディオもあった。バンパイヤが貴族であったのと同じに、Tさんは20歳の貴族であった。

吸血鬼趣味は続いていた。須永朝彦の「就眠儀式」の話などもしたが、Tさんは「あれは偽物」と切って捨てた。反面、萩尾望都についてはえらく称揚した。それからあと、Tさんに関する思い出はない。その後、書いていた作品のことや本のことは知らなかった。追悼集によると、吸血鬼の小説もあったらしい。ずっとこだわってたんだなあ。

装幀の打ち合わせは終わった。でも、そのことにはまったく集中できず、昔のことばかり考えていた。装幀やページフォーマットの基本的なところは決まったらしい。まあ、適当に進むだろう。

ところで、1学年がたった140人の私立の無名中学高校を、私は卒業したが、1つ上の学年には、私が知っている範囲で、Tさんともうひとり小説家がいる。私の学年には、1人のもの書き(山本星人さんたちもよく御存知の人)と、1人の有名俳人がいる。ものを書く人はカタギじゃない。140人から2人ずつというのは、確率としてかなり高いと思う。ヘンテコな学校だったんだな、と思う。
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by tenki00 | 2005-07-06 02:20 | pastime
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