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権威、このひとりひとりのアタマの中の幽霊を

権威(ぷっw)の話題。

現俳協青年部勉強会のレポート。これを受けて、ハイクマ対談で「権威と週俳」についてちょこっと語られることとなり(終わりのほう)、それを受けて、田島さんがブログで書いた、と。



話、見えました? リンクを辿れば見えるんだけど、辿らないと見えない。
重要なことは、僕たちが直感的に、この「権威」を一種の「穢れ」として感じてしまうことです。それによって、ふたつの態度が生まれてくる。
「権威は汚らわしいものであるから、できるだけ排除されることが望ましい」
「権威は汚らわしいものであるが、よりよい世界のためには誰かが引き受けなければならない(だから、私が引き受けよう)」

「権威」について:たじま屋のぶろぐ
この部分、わかるのですが、今回の話題にふさわしい切り口かと言えば、あまりそう思わない。小鳥の墓を掘るのにブルドーザーを使うようで、ね(もっと一般的な比喩があります。ま、それはどうでもいい)。

スコップで足りるんじゃないの、と。

ちょっと話の方向を変えると、現実の俳句世間に、いま、どこかに「権威」なんてあるのかなあ、とも思います。

そりゃあ例えば結社の中では主宰が権威だったりする。けれどもそれをもう少し広げて俳句世間(あるいは俳壇でもいいけど)に「権威」って、いま、あるんでしょうか? 俳句総合誌? んんん、どうでしょう。雑誌がやる賞? んんん、どうでしょう。協会? んんん…。

つまり権威というからには、ある程度広範囲にわたって、なんからの力(権力でも影響力でも強制力でもなんでもいいんだけど)として機能していないと、そうは言えないわけで。そんな、実際に「機能」し、「作用」を及ぼしているようなもの、あります? ないでしょ?

田島さんが、勉強会で話題にしたとき、俳句総合誌のことがアタマにあったかもしれない。俳句総合誌に俳句を載せてもらって嬉しい、と同じ感じで、「週俳に俳句が載った」…みたいな。そんなこと言う人、思う人、いないと、私は思いますが、まあ、いたとしてね。

でも、そこに「権威」というものを関連づけるかどうかは、事実や了解の世界ではなく、人ひとりのアタマの中の世界の話。権威は、ひとりひとりのアタマの中にあったりなかったりする。

いわば、草の根の内なる「権威」。

こんな幽霊のような権威しかない場所で、田島さんの言うように、「権威は汚らわしいものであるが、よりよい世界のためには誰かが引き受けなければならない(だから、私が引き受けよう)」と誰かが言い出すとしたら、それは、あなたのアタマの中に「夢魔」のように忍び込みますよ、ってな感じです。かなりおせっかいな話になる。

で。

結論的には、私(週俳の更新当番のひとり)はネット世界のクリシェを用いて、こう答えておくしかない。

権威、なにそれ、おいしいの?

(thanks to 藤幹子さん)

付言すれば、この手のことを、週俳の更新当番は戦略的にではなく語るようなことをしてはならない。したがって、読者諸氏はここに書いてあることをゆめゆめそのまま正直に受け取ってはならないし、また、だいたいが、レポートであのやりとり(田島さんとの応酬)を記事に書いてしまった私が、悪い。ごめんなさい。
by tenki00 | 2009-12-31 00:49 | haiku
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