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5句ユニット

俳句の連作として、5句は、最小単位かもしれない。3句じゃ連作という感じにならない。5句あれば、流れも作れるし、作者のキャラクターも伝わる。むかしあった4曲入りのドーナツ盤?(10句はアルバム。2~300句も並んだ句集は、もうなんだかわからないシロモノ。アルバムで言えばボックスセット?)。

もはや旧聞に属すが、「週刊俳句」第100号には、5句作品がたくさん並んだ。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/100-2009322.html

週俳にもウラハイにも載せてもらう機会を逸した短文。
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還暦や山は満点大笑  雪我狂流

どこまでめでたいんだ? それはもうこのうえなくめいっぱいに。

春なれや波の音する洗濯機   山田露結

静かだけれど静かすぎない春の昼間。野外に置いた、これはもう二槽式の古いタイプ。渦巻きが逆回転になるその瞬間も含め、波の音。

あたたかや松のまはりの松ぼくり  久保山敦子

あたりまえのことがだんぜんあたたかい、という。あたりまえに暮らす人を気持ちよくさせてくれる句。

白梅や鯛のかたちの醤油差し   菊田一平

ああ、あれ、あれ。

もの喰うに、花見よりも梅のほうが上品な感じ。

浴槽の捨てられてゐる海市かな  青山茂根

「かな」で終わる句にはおおまかに2通りの読みがあって(2通りあっちゃ困ると思うのだが、実際のところ2つ存在してしまっていると思う)、この句の場合、中7で切って読むか、純然たる一句一章と読むか。前者だと、浴槽は「実」(上下でひとつの景、下は別の景=季節)、後者だと「虚」(海市に浴槽が捨てられている)。快楽の度合いは段違い。もちろんシュールな詩を思わせる後者の読みを採る。

春めくと枝にあたつてから気づく  鴇田智哉

花が咲いて、というベタから、数センチメートルずれるだけで、不思議が生まれる不思議。

タクシーの窓を流るる朧かな  茅根知子

街の灯ではなく朧が窓を流れていく。奇妙な味が残りますし、ちょっと切ない。

たんぽぽやパスポートに顔載せてある  野口 裕

この句の現場は、たんぽぽです。そこで「パスポートに顔載せてある」なあ、と、当たり前だけれど、その場ではかなり妙なことを言い出す作者です。

シネラリア前衛俳句百句よむ
  中嶋憲武

ぬけぬけと、言ってしまう。そうした句は好悪が激しく分かれるようです。私は「好」派。「シネラリア」という季語の「斡旋」についてなんやかやと評定するのが俳句世間によくある態度ですが、この場合、自分はそういう手順にほとんど興味がない。作者が「ネラリア」と言うんだからシネラリアなんでしょう。

「百」物の譬えで「たくさん」ということと解してもいいけど、ぴったり100句読んだ、と思うほうが可笑しいので、そっちの読みを選択。

芽柳やエンジンの音はじまつて  村田 篠

銀座です。「大時計」が銀座なのだけれど、それはともかく、エンジンの音がはじまる、という事柄は、これからはもう失われていくものだろう。エコカーにそれはない。20世紀はつかの間だった、ということに未来にはなるのだろうが、私も私の知人たちも、その20世紀を暮らしたのだ。

四月馬鹿缶に残れるシリカゲル  上田信治

残ったものからは、とうぜんながら喪失を思う。シリカゲルの喪失、シリカゲルの気化。なんとも春らしく、なんとも馬鹿。


5句って、アリじゃないですかね、これからの週俳で。


by tenki00 | 2009-05-01 01:09 | haiku
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